私の中では、まだ生きている




中学生の時、ジョン・レノンが亡くなりました。

その後、彼に会える場所は、レコードジャケットの中でした。音を聴きながら、その顔を眺める。もういない人なのに、声はちゃんと届いてくる。

大学生の時には、松田優作さんが亡くなりました。

彼とはレンタルビデオ店に行けば会えました。画面の中では、相変わらず格好よく、こちらが少し緊張するほど生き生きとしていました。

そして、高橋幸宏さん、坂本龍一さんも旅立ちました。

今では、PC画面で彼らの姿を見ることができます。そこにいるのは、今の私よりも若い彼らだったりします。

こちらは歳を取っているのに、彼らはそのまま。何だか、不思議なことです。


そもそも、私は彼らに会ったことがありません。勝手に憧れ、勝手に身近に感じてきただけです。

だからでしょうか。亡くなったと聞いても、どこか実感が湧きません。

私の中では、彼らはまだ生きているのです。

声も、姿も、作品も残っている。再生すれば、いつでもこちらを振り向いてくれるような気がします。

けれど、ふと気づきます。

これまでの彼らには会えても、これからの彼らには会えない。

新しい曲。新しい役。今の歳になった彼らが、何を感じ、何をつくるのか。

それを、もう知ることはできません。

私が彼らの死を感じるのは、亡くなったという知らせよりも、その「続きがないこと」に気づいた時なのかもしれません。


死とは何か。

そんな大きなことは、私には分かりません。ただ、残された側には、いなくなった人を感じながら生きていく時間があるのですね。

レコードを聴く。昔の映画を観る。同じ場面で、また心を動かされる。


過去にしがみついていると言われれば、そうなのかもしれません。

でも、無理に手を離す必要もないのでしょう。好きだった人を、好きなままでいる。その人がもういないことも、少しずつ受け入れていく。

その二つは、一緒にあってもいいように思います。

彼らの作品に触れていると、時々、こんなふうに言われている気がします。

「あなたが生きているうちに愉しんでね」

もちろん、私が勝手にそう受け取っているだけです(笑)。

彼らの新しい作品は、もう生まれない。それでも私の時間は、もう暫くは続く。

寂しいけれど、なぜか温かい。

大好きです。私の憧れの人たち。

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