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足す。引く。

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デザインのダメだし。 ある仕事で、デザイン案を提出しました。 お客様の事業内容を聴き、要望も伺い、それなりに考えた案でした。 「違う」 提出した途端、お客様から返ってきた言葉です。 さらに、こう続きました。 「どこでも出してくるようなデザインではなく、看板市場のデザインが見たい」 正直に言えば、ショックでした。 お客様の要望にも応えた。 見た目も、それほど悪くない。 自分ではそう思っていたのです。 しかし、それは「間違ってはいないデザイン」であっても、看板市場が出す意味のあるデザインではなかったのでしょう。 色の使い方なのか。 変わった形なのか。 少し奇抜な表現なのか。 看板市場らしいデザインとは何なのか。 考えれば考えるほど、分からなくなりました。 そこで、 問いそのものを変えてみました。 もし自分がこの店の経営者だったら、何を伝えたいのか。 この看板によって、本気でこの店の仕事を増やそうと思っているのか。 そこまで考えると、最初に渡された原稿の言葉が多すぎるように見えてきました。 伝えたいことを全部入れようとすると、軸がぶれていく。 足したくなるもの 会社名 電話番号 仕事の内容 技術力 安心感 創業年数 これは、看板ではよくあることです。 どの言葉も大切です。 全部大切だからこそ、入れたくなる気持ちはよく分かります。 しかし、見る人が看板の内容を すべて読んでくれるとは限りません。 多くの場合、ほんの数秒です。 そこで、引く 私は、内容をかなり削りました。 シンプルです。 しかし、強い。 それ以上足せば、 伝えたいものが薄くなる。 それ以上引けば、 意味が消える。 私はお客様に伝えました。 「誤字や事実の間違いがあれば直します。 でも、この案には何も足しません。何も減らしません」 今思えば、ずいぶん生意気です。 若かったのでしょう。 いや、今でも似たようなことを言うかもしれません。(笑) 自分の好みを押しつけることと、考え抜いた案を守ることは違います。 相手の商売を自分事として考え、必要であれば、いただいた原稿さえ疑うことです。 もちろん、お客様の言葉を否定するためではありません。 その言葉の奥にある、本当に伝えたいものを見つけるためです。 デザインは、何かを足す仕事だと思われがちです。 足す 色を足す...

ジョージはおサルです

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Curious George 好奇心は無くならない Curious George 。 日本では『おさるのジョージ』です。 Curious とは、「好奇心旺盛な」という意味。 つまり、「おさるのジョージ」は、 「好奇心いっぱいのジョージ」 です。 ジョージは、気になるものを見つけると、 「これは何だろう?」 「触ったら、どうなるのだろう?」 と、まず手を伸ばします。 今、自分自身を振り返ってみると、 ・面倒なことになりそうだ ・何の役に立つのだろう ・今、やらなくてもいいか いつの間にか、手を伸ばす前に、 その先にある結果を考えるようになっている気がします。 役に立つのか。 失敗しないか。 誰かに迷惑をかけないか。 もちろん、それは必要なことです。 しかし、結果を考えているうちに、 最初に心の中で動いた小さな何かは、 静かに消えてしまいます。 ジョージはおサルですから、 好奇心が人生を豊かにすることなど、考えてはいません。 新しいことを学ぼうとも、成長しようとも思っていないでしょう。 ・ただ、気になったから、手を伸ばす ・やってみたくなったから、やってみる その結果として、 思いがけない経験をします。 けれど、それは最初から 目的としていたものではありません。 好奇心が、必ず人生を 豊かにしてくれるとは限りません。 それでも、人間にとって 大切な心の動きなのだと思います。 ・何かを見たとき、聞いたとき ・理由もないのに、気になってしまったとき 心の中で、まだ言葉にもなっていない何かが 小さく動き始めます。 目の前のものへ手を伸ばしたくなるのも、 突然「なぜ?」と思うのも、 知らない道を歩いてみたくなるのも、 すべては、その小さな動きから始まります。 その先に何があるのかは、わかりません。 ...

人差し指は傷ついていた

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久しぶりに、やってしまった。 看板本体を製作中に、 左手の人差し指をガツンと。 ガツン。 鉄扉に人差し指だけを残し、思いっきり閉められた。 そう思うと、分かりやすい。 初日は、痛みで眠れなかったほど。 左手とはいえ、何かと不便だ。 3日目ぐらいになると、痛みもやわらいできた。 しかし左手の扱いも、いつもと同じようになってくる。 すると、思いがけない動作で、 人差し指の先端が何かにぶつかる。 「はう」 言葉になっていない。 「なんで!気をつけて、ゆっくり動かしたじゃん」 そう言っても、痛みは消えない。 4日目になり、関節も普通に動くようになっている。 それでも、人差し指の先端はどこかにぶつかる。 ぶつかるたびに、 「はう」が続く。 そこで、気づいた。 「そうか。今までお前は、当たり前のように、どこかにぶつかっていたんだね」 ——お前とは、人差し指のことね。 コップを取る。 ジャケットを羽織る。 自分の体で痛みを知った時、はじめて、 その存在の意義や価値を知ることができたのだ。 ああ。 これは、人との関係性と同じだな。 何気ない一言や動作。 そこに作為はなかったとしても、相手に何かしらの影響を与えているかもしれない。 もしかしたら、それは 痛み にもなっていたかもしれない。 そこに気づかせてくれた、我が人差し指よ。 お前は、こんなにも毎日、 私の何気ない動作の先頭に立ってくれていたんだね。 慣れた作業だから大丈夫。 右手じゃなくてよかった。 そんなふうに思った自分が、少し恥ずかしい。 それなのに、ぶつけるたびに、 文句まで言ってしまった。 悪いのは私のほうだったね。 本当にごめん、人差し指。

三つの「きく」

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日本語の「きく」には、三つの漢字があります。人とのコミュニケーションには、この三つすべてが必要なのだと思います。 聞 聞く 相手の言葉を、まず耳に入れること。 聴 聴く 言葉の奥にある思いへ、耳を傾けること。 訊 訊く 自分には分からないことを、相手に尋ねること。 表情が暗い。 発言しない。 返事に、どこか力がない。 「不満があるのだろう」 「やる気がないのかもしれない」 「何か反発しているのではないか」 そんな姿を見ると、つい理由を想像してしまいます。 相手を理解しようと、想像することは大切です。 しかし、その想像を「答え」にしてしまうと、本当の理由を知る機会を失います。 私はこう思えたけれど、 実際はどう? こうきいてみると、 気づかなかった世界が現れる。 実際にきいてみると、 「何を言えばよいか分からなかった」 「失敗して迷惑をかけるのが怖かった」 「もっと考えてから話そうと思っていた」 など、こちらが思いもしなかった答えが返ってくることがあります。 こちらから見えているのと、その人の中で起きていることは、同じとは限りません。 正解を確かめるためではなく、 相手の世界を知るために。 まず訊いてみる。 「私はこう見えたけど、どう思う?」 「あの時、どんなことを考えていた?」 返ってきた言葉を聞くだけで終わらせず、その奥にある気持ちまできく。(ここでは聴く) これは、正解を確かめるための質問ではありません。 自分に...

利益とは

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お客様が、 「うちは一個のお菓子を売って利益は10円しかないんだ」と。 一個のお菓子の利益 10円 そこに看板代が 10,000円 。 看板を付けてプラス 千個 を売り上げる効果が無いと、その看板は全く無意味になる。 別のお客様は、特殊な加工業。 看板を付けた後、早速、新規問い合わせがあり、看板効果で 240万円 の売り上げを上げたとのこと。 看板代は 25万円 也。 看板の効果とはすなわち売り上げが上がること。 イメージが良くなっても、売り上げが上がらないと意味が無い。 それでは一個あたりの利益が10円のお客様に、どんな提案をしたら良いのだろうか? POPペンとカラーケント紙を用意してもらい、その場で手書きで描くことに。 料金は、そのお菓子100個入り詰め合わせと等価交換(笑) それでも売り上げが上がるか保証はできない。 もどかしい。 自分が絶対的なカリスマだったらなーと。 自分の力の無さを痛感し、 自分の力で利益を生み出す。 この商売の基本を改めて考えさせられました。 株式会社看板市場について 看板の企画・デザイン・製作・施工・修理については、公式サイトをご覧ください。 看板市場の公式サイトへ

何のために働くのか

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働く理由は、 人それぞれです。 暮らすため。 自分の技術を生かすため。 誰かの役に立ちたいから。 あるいは、ほかにすることが見つからなかったから。 その理由に順位付けなど野暮なことです。 「社長がこの会社にいるからです」 もし、そう言ってくれる社員がいたら、少し照れます。 もちろん嬉しくないわけではありません。 少なくとも私は、立派な経営者になるために働いてきたわけではありません。 目の前に仕事があり、人がいて、支払いがあり、逃げるに逃げられなかった。 振り返れば、そんな日々の積み重ねでしたが、 その時間が、苦痛だけではなかった。 以前の私は、社員から不平不満や愚痴を聞くと、 「だったら辞めればいいじゃないか」 と言う思考でしたが、しかし、今は一つ訊いてみたいことがあります。 「あなた自身は、 本当は何をどうしたいの?」 社員の言葉の奥には、 認めてほしい気持ちや 向上心があるが故に「もっと何かができるはずだ。」 そんな期待が残っているからこそ、出てくる言葉なのでしょう。 ならば不平不満や愚痴の言葉は、今とは異なる方向に向かいたいという 心の叫びなのかもしれません。 私自身は やり方を残すことより、次に担う人が「自分の考えで仕事をつくれる場」を残したい。と考えています。 私が退職した後も、 「ああ、この仕事は面白いな」 と思う人が一人でも増えていたら、それでよいのではないか。 いつかその人が過去を振り返った時、 「この会社で過ごした時間は、悪くなかったな」 と思えたなら。それは、本当の会社の成果なのかもしれません。 働くことは、自分の命を使うことです。 使った時間は、二度と戻りません。 だからこそ、何のために働くのかという問いは、 自分の命を、どう使いたいのか という問いとして考えてほしいと切に願います。 株式会社看板市場の公式サイト

ある可能性の象徴

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フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年) ゴッホの『星月夜』に描かれた、あの大きな渦。 あの渦は、精神を病んだゴッホの「心の乱れ」を描いたものだと言われてきました。 ところが、絵の明るさや渦の配置を解析すると、川の渦や煙、雲のうねりなど、自然界の複雑な流れと似た統計的な特徴が見つかったというのです。 ゴッホは、物理学に 精通していたんかーい! もちろん、そういう話ではありません。 さすがにゴッホが、物理学の数式を知っていたわけではないでしょう。 形は絶えず変わり、同じ姿には二度と戻らない。 バラバラに動いているようで、どこか似た流れを繰り返している。 無秩序に見えるけれど、その奥には何らかの秩序がある。 この研究には異論もあるのですが、私はこの話に強く惹かれます。 私が惹かれるのは、あの渦が「乱れたもの」ではなく、形を変えながら流れ続けているものに見えるからです。 それは、単に完成していないということではなく、 今とは異なる可能性に向かい続けているようにも見えます。 そして、その動きが絵の中に「ゆらぎ」として表れている。 水も、煙も、雲も、周囲との関係に応じながら姿を変え続けます。 けれど、決して止まってはいません。 人も同じなのかもしれません。 迷うこと。 心が揺れること。 今までの自分ではいられなくなること。 それらは、必ずしも良いことではありません。 けれど、すぐに「悪い状態」と決めてしまう必要もない。 乱れているのではなく、 まだ、次の形が決まっていないだけ。 ゴッホの『星月夜』は、何かの答えを描いた絵ではありません。 形を変え続ける世界の、その一瞬を捉えた絵です。 完成でも、停止でもない。 その間で、ゆらぎ続けている。 私には、あの渦が、 今とは異なる可能性へ向かい続ける 世界の、 象徴に見えるのです。 画像:Wikimedia Commons(Public Domain)