馬鹿なことだと言うなかれ
会社から最寄り駅まで、極力、信号で止まらず、しかも最短時間で歩けるか。
そんな、いささか馬鹿らしいことに挑戦してみた。
先の歩行者信号が赤だと分かれば、
歩く速度を落として時間を調整する。
赤から青に変わりそうなら、
今度は歩く速度を上げる。
これは、いわゆる
「先を見越す力」である。
どうしても赤信号に捕まってしまった時は、
青になった瞬間、すぐに歩き出せるように、完全には止まらない
空手でいう「猫足立ち」のようなものだろうか。
そんな「馬鹿なこと」をしながら、
私はいつもより早く駅へ着くことができた。
一応、挑戦は成功である。
そこで気づいた。
早く駅に着いた私は、
その余った時間で何をするのか、
何も決めていなかったのである。
信号に止まらず歩こうとしたことではない。
早く着くことだけを目指し、
早く着いた先に目的がなかったことだ。
これこそ、真の「馬鹿なこと」なのかもしれない。
人生にも同じことが言える。(かもしれない)
未来の話は、まだ起きていないのだから、
本人が本気でそう語るのなら、
それはその人にとっての真実である。
ただし、ひとつだけ問題がある。
その未来のために、
今、どのように行動しているのか?
今の行動は、
その未来に向かう行動になっているのか?
未来を語るということは、
遠くにある目的地の名前を口にすることではない。
その未来に合わせて、
今の歩き方を変えることなのだと思う。
それから私は、
あの「馬鹿なこと」の意味を少し変えた。
古い建物の構造に感心したり、
子どもとお母さんの微笑ましい姿に
心を休めたり、
歩くたびに、お腹の脂肪が燃えている姿を
想像したりする。
早く着くことではなく、
そこへ向かう途中にも目的を持つことにした。
そうすると、不思議なことに、
歩いている時間そのものまで愉しくなった。
未来が変わったからではない。
未来を意識したことで、
今の歩き方が変わったのである。
では、その道の先に何があるのか。
壮大な夢か。
輝かしい成功か。
未来を語ろう。
それは汗だくになって辿り着いた先で飲む、
あの一杯の冷えた一杯のビールである。
その未来では、私は最高の幸いを味わっている。

私の未来の目的は、案外その程度でいい。
だから――
馬鹿なことだと言うなかれ。