ある可能性の肖像

フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)
ゴッホの『星月夜』に描かれた、あの大きな渦。
あの渦は、精神を病んだゴッホの「心の乱れ」を描いたものだと言われてきました。
ところが、絵の明るさや渦の配置を解析すると、川の渦や煙、雲のうねりなど、自然界の複雑な流れと似た統計的な特徴が見つかったというのです。
精通していたんかーい!
もちろん、そういう話ではありません。
さすがにゴッホが、物理学の数式を知っていたわけではないでしょう。
形は絶えず変わり、同じ姿には二度と戻らない。
バラバラに動いているようで、どこか似た流れを繰り返している。
無秩序に見えるけれど、その奥には何らかの秩序がある。
この研究には異論もあるのですが、私はこの話に強く惹かれます。
私が惹かれるのは、あの渦が「乱れたもの」ではなく、形を変えながら流れ続けているものに見えるからです。
それは、単に完成していないということではなく、
今とは異なる可能性に向かい続けているようにも見えます。
そして、その動きが絵の中に「ゆらぎ」として表れている。
水も、煙も、雲も、周囲との関係に応じながら姿を変え続けます。
けれど、決して止まってはいません。
人も同じなのかもしれません。
心が揺れること。
今までの自分ではいられなくなること。
それらは、必ずしも良いことではありません。
けれど、すぐに「悪い状態」と決めてしまう必要もない。
乱れているのではなく、
まだ、次の形が決まっていないだけ。
ゴッホの『星月夜』は、何かの答えを描いた絵ではありません。
形を変え続ける世界の、その一瞬を捉えた絵です。
完成でも、停止でもない。
その間で、ゆらぎ続けている。
私には、あの渦が、
今とは異なる可能性へ向かい続ける世界の、
肖像に見えるのです。
画像:Wikimedia Commons(Public Domain)

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