美は、どこに?
美は、どこに?
美しい花、顔、絵、風景。
私たちは日常の中で、
「美しい」という言葉を、あまり使いませんが、心では感じています。
けれど、少し考えてみると不思議です。
同じものを見ても、
心を奪われる人もいれば、何も感じない人もいる。
だとすれば、美しさに基準はあるのでしょうか。
左右対称で均整が取れている。色の調和が美しい。
たしかに私たちは、ある程度、見て安心する色や形を知っています。
けれど、整っていれば必ず美しいとは限りません。
整ってはいないものの中に美しさを
感じることもできます。
劣化、傷、枯れなど。
おそらく私たちは、この現象を形だけでは見ていないのでしょう。
その傷が生まれた様子、
積み重なって出来た劣化などを無意識のうちに感じ取っているのかもしれません。
美とは、見た目の完成度だけではなく、
そのものが過ごしてきた時間まで含めて、感じ取れるものなのかもしれません。
夕暮れの空は、
昨日も今日も、ただそこにあります。
それでも、あの日の夕暮れだけが忘れられないことがあります。
空が特別だったのでしょうか。
それとも、そのときの自分が特別だったのでしょうか。
おそらく、その空と、
そのときの自分が出会った関係の中に、
忘れられない何かが生まれたのです。
そう考えると、
美とは、私と何かが出会ったとき、
つまりその「あいだ」に生まれる現象なのかもしれません。
だから、美には基準や正解がありません。
誰かが美しいと言ったから美しいのではないのです。
それを美であると感じるのは、自分自身だけが持つ感覚なのですから。
美しいものは、
私たちに答えを与えるのではなく、
小さな問いを投げかけます。
そして、その問いによって、
それまで気づかなかった自分の感覚が
静かに浮かび上がってきます。
芸術家が鑑賞者の中に
新しい感情をつくるのではありません。
作品は、ただひとつの点を打つ。
その点を受け取った私たちの内側から、
まだ言葉になっていない何かが動き始めるのです。
美を探すということは、
自分は何に立ち止まり、何に心を動かされ、
何に感動するのかと、その小さな反応に気づくことです。
ならば美とは、この世界と私を結び付けてくれるために、
その「あいだ」に生まれる、
ひとつの結び目なのかもしれません。

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